名古屋城には実測図面が残っている
名古屋城は、昭和時代に実測した図面が残っています。これがあるので、正確な復元が可能です。
以下は名古屋市のサイトから。
名古屋城は、慶長15年(1610)に徳川家康によって築城が開始され、同17年に大小の天守、同20年に本丸御殿が完成しました。各門や隅櫓も同じ頃に造営されたと考えられています。
明治維新後、名古屋城各区域のうち本丸・西之丸・御深井丸が皇室の離宮となり、昭和5年12月には名古屋市に下賜されました。下賜と同時に、天守・本丸御殿・各隅櫓・門など江戸時代初期に建てられた建造物24棟が、国宝に指定されました。名古屋市土木部建築課は、下賜直後からこれら国宝建造物の調査に着手し、文部省の指導を得つつ細部の計測や拓本作成を行いました。
しかし、図面整理の最中に第二次世界大戦が勃発し、昭和20年5月14日の焼夷弾攻撃により、国宝建造物24棟のうち西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓・表二之門をのぞく20棟が炎上しました。なお、本丸御殿の障壁画のうち襖絵類は取り外されて別置されていたため焼失を免れました。
空襲直後、襖絵と調査資料は名古屋城外に疎開され、8月15日の終戦を迎えました。
昭和27年度、図面整理が終わり、282枚の清書図と拓本貼付27枚計309枚が完成しました。
これら昭和実測図は、創建当時の設計図ではなく、あくまでも昭和前期における調査図です。創建時の姿を正確に再現するには他の資料によって補完する必要があります。しかし、多くの建物を戦争で失った名古屋城にとり、戦前の姿を知るためのかけがえのない資料であることに他なりません。よって、昭和34年の鉄骨鉄筋コンクリートによる天守再建や平成21年から開始された本丸御殿の木造復元においては、基本的資料の一つとして昭和実測図が使用されました。また、各図面においては、細部まで詳細に計測した数値が厚手の紙に丁寧に手書きされており、精度の高さはもちろん、図面としての美しさにも驚かされます。